神輿をひっくり返して破壊する!?木曽福島・天下の奇祭「みこしまくり」とは?:2ページ目
宗助・幸助の伝説とは
ではなぜこのような荒々しい祭りになったのでしょうか。
平安時代の初期、木曽の宗助と幸助という若い樵(きこり)が、飛騨の国(岐阜県高山地方)へ出稼ぎにいきました。
その近くに水無神社(みなしじんじゃ)という立派な宮があり、崇敬を集めていました。しかし数年後に戦が起こり、方々で上がった火の手が水無神社にも迫ってきました。
「このままでは、立派なお宮が焼けてしまう」
そう危惧した二人は「神輿に神様をのせて、木曽へ運ぼう」と決意し、新しく作った神輿にご神体を移して逃げ出しました。
しかし村人たちに見つかり、「泥棒!」と大勢の村人に追いかけられました。
二人は重い神輿を担いでいたため、とうとう国境の峠で追いつかれてしまい、「神輿を返せ」「いや、だめだ」と押し問答に。
神輿の取り合いをしているうちに、宗助は「幸助、神輿を木曽のほうへまくれ!」と幸助に叫びます。そして幸助は、力まかせに神輿をまくり落としました(蹴落とした)。
神輿が国境を越えてしまうと、飛騨の村人たちも諦めざるを得ず引き返しましたが、そこは飛騨と長野の深い山の中。
重い神輿を方向も定まらない暗闇の中、厳しい山道を二人は「宗助!」、「幸助!」と互いに名前を呼び合いながら励まし合って木曽福島にたどりつきました。そして、水無神社(すいむじんじゃ)を造り、ご神体を祀りました。
それからというもの毎年7月22・23日の夜、木曽福島町の水無神社の祭りには、毎年「白木の神輿を新造してまくる」という神事が行われるようになりました。
読み方も祭神も違うのはなぜ?謎が謎を呼ぶ
…とここまで紹介しましたが、岐阜の村民からしたら宗助・幸助は大事なご神体を盗んだ泥棒っちゃ泥棒ですよね…。
岐阜の飛騨地方と長野の木曽地方は仲が悪くならなかったのでしょうか?
ご神体を運び出された「水無(みなし)神社」は、正しくは岐阜県の「飛騨一宮水無神社」のことで、由緒正しい大きな神社です。
背後にそびえる位山をご神体をする神社で、その位山はUFO伝説を持つ不思議な山でもあります。
位山については実は筆者が2018年に書いた下記の記事でも紹介しており、登山口にある太陽神殿と御門岩が有名で、パワースポットとしても人気があります。巨岩・奇岩も多く、天の岩戸など、天孫降臨をほうふつとさせる名がつけられています。
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そんな神社からご神体を盗み出したら末裔まで不仲になりそうですが、不思議なことにHPを拝見しても、岐阜の水無神社には宗助・幸助のことは書いてありません。ご神体を持ち出したのなら、今現在も不仲の伝説が残りそうなものではないですか?
そして面白いのは岐阜の水無神社の読みは「みなしじんじゃ」、長野・木曽福島の水無神社は分社扱いなのに、「すいむじんじゃ」なんですよね。宗助・幸助の伝説では平安時代となっていますが、史実上の創建は不詳となっています(ちなみに鎌倉時代の弘安年間(1278~87)に、木曽家仲が社殿を再興したとされています)。
そして、岐阜の主祭神は御歳大神(御年大神=みとしのおおかみ)ですが、木曽では高照姫命(たかてるひめのみこと)で、祀る神が違っています。
まとめると
①祭りでは、なぜ天狗が先導するのか
②宗助幸助のモデルは実在したのか?
③祭神が違うのはなぜか
謎が謎を呼びますね…。
今回は調べきれなかったのですが、眠っている史実がありそうです。