敵までもが崇敬を寄せた戦国武将!関ヶ原の討死まで石田三成への忠義を貫いた「島左近」という男:2ページ目
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エピソード2:徳川家康からの誘いを断る
石田三成の腹心として、非常に有能だった島左近。そんな彼のうわさは、徳川家康にも届いていました。
家康から派遣されたのは、重臣の柳生宗矩(やぎゅうむねのり)。家系の婚姻関係もあり、柳生宗矩と島左近は気心の知れた仲でしたが、光成への忠義のために、家康の誘いも断りました。
エピソード3:最後まで石田三成への忠義を貫く
加藤清正や福島正則といった有能な武将たちが次々と光成から家康に寝返りましたが、最後まで島左近は光成への忠義を貫きました。61歳のときの関ヶ原の戦いで討ち死にしました。ただし、生存説もいくつか残っています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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