皇女二人を生むが…藤原道長の野望で皇位継承の前途を絶たれた敦康親王の一人娘・嫄子女王の生涯【光る君へ】:2ページ目
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皇女二人を生むが……。
とは言っても嫄子は後朱雀天皇の寵愛を受け、祐子内親王(ゆうし/すけこ)・禖子内親王(ばいし/みわこ)の二皇女を生みます。
しかし禖子内親王を生んでからわずか9日後の長暦3年(1039年)8月28日、嫄子は産褥のため崩御してしまいました。享年24歳。
『太神宮諸雑事記』の伝えるところでは、嫄子が沐浴しているとにわかに雷雨が起こり、御湯殿の中で頓滅(とんめつ。急死)してしまったと言います。
これは皇族の血を引く源氏でありながら、藤原氏の女性として中宮に立てられたことが神の怒りに触れたのでは?と噂されました。
神とは藤原氏の氏神である春日明神(かすがみょうじん)。具体的には武甕槌命(タケミカヅチ)・経津主命(フツヌシ)・天児屋根命(アメノコヤネ)・比売神(ヒメガミ)の四柱を総称した存在です。
それはともかく、嫄子にしてみれば望んで養女になった訳でもないのにいい迷惑としか言いようがありませんね。
終わりに
今回は敦康親王の一人娘・嫄子女王(藤原嫄子)について、その生涯をたどってきました。
わずか2年あまりの結婚生活が、嫄子にとって幸せであったことを願うばかりです。
NHK大河ドラマ「光る君へ」ではほとんど少女としてしか登場しないと思われます(道長が亡くなるため)。
もし嫄子女王が登場するなら、誰がキャスティングされて、どんな活躍を見せてくれるのか、楽しみにしておきましょう!
※参考文献:
- 坂本賞三『藤原頼通の時代 摂関政治から院政へ』平凡社、1991年5月
- 藤井譲治ら『天皇皇族実録30 後朱雀天皇実録』ゆまに書房、2007年12月
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