後一条天皇への入内に失敗!父の野望に翻弄された平安時代の女性・藤原生子の生涯【光る君へ】:3ページ目
わずか6年の夫婦生活
とまぁこんな具合に入内は散々だった生子。しかし後朱雀天皇との夫婦仲は円満だったと言います。
やがて後朱雀天皇は生子を皇后に立てたいと希望しました。
しかし頼通は生子が摂関家の娘(父親が摂政か関白)でないこと、そして皇子を生んでいないことを理由に拒絶。生子の立后は立ち消えとなります。
結局子供は生まれないまま寛徳2年(1045年)1月16日に後朱雀天皇が譲位。その2日後となる1月18日に崩御すると、生子は内裏を退出。わずか6年足らずの結婚生活でした。
そして天喜元年(1055年)に出家、治暦4年(1068年)8月21日に55歳で崩御します。
終わりに
今回は藤原教通の野望に振り回された長女・藤原生子の生涯をたどってきました。
あまり幸せそうには見えませんが、わずか6年でも後朱雀天皇と過ごした日々はかけがえのないものであったと信じたいものです。
年代的に考えてNHK大河ドラマ「光る君へ」にはほとんど登場しないでしょうが、もし登場するなら誰がキャスティングされるか、教通との関係がどのように描かれるかなども気になりますね。
※参考文献:
- 芳賀登ら監修『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1998年10月