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”にせ金” 造ると家族にも厳しい刑罰が!日本最古の貨幣「富本銭」と「和同開珎」のトリビアを紹介

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和同開珎の贋金を造ると…

ちなみに、和同開珎の発行以後、律令政府は庸や調の税を銭で納めさせることもありました。このため貨幣の流通が盛んになりましたが、これと歩調をあわせて贋金が造られ始めたようです。人間が考えることはいつの時代も同じですね。

当初、贋金を造った者には3年の懲役刑を課すと定められていました。しかしその程度の刑では効果が薄かったらしく、711年(和銅4)には、主犯は斬刑、共犯は没官(土地や家屋、その他財産の没収)、家族は流刑と、格段に厳しい刑罰に改められました。

すぐに罰則を強化しなければならないくらい、贋金造りが横行したということなのでしょう。

ただし、当時、贋金をどのように見分けていたかなど詳しいことは不明です。おそらく、貨幣を管理する大蔵省か調銭を収納する主計寮といった役所でチェックしていたのでしょう。

ちなみに、奈良時代の753年(天平勝宝5年)には、主犯の刑は流刑に軽減されました。贋金造りで磨いた技術を発揮させようということなのか、遠国の鋳銭所で働かせるようになっています。

s参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:Wikipedia

 

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