【光る君へ】藤原道長、許すまじ!夫婦の絆を引き裂かれ絶望の内に世を去った藤原顕光の娘・延子の悲劇:2ページ目
絶望のどん底で寂しい最期
かつて三条天皇は道長に対して「敦明親王を次の春宮にする」という条件で譲位しました。
にも関わらず、三条天皇が崩御するや手のひらを返し、敦明親王に春宮の座を辞退するよう圧力をかけたのです。
外戚である藤原顕光ではとても道長に太刀打ちできず、敦明親王はやむなく「自発的に」春宮の座を辞退したのでした。
延子はその悲しみを歌に詠んでいます。
雲居まで たち上るべき 煙かと
見えし思ひの ほかにもあるかな※『大鏡』より
【意訳】雲の彼方まで煙が上っていくと思ったのに、その前途は潰えてしまいました……。
そんな延子の思いなど知らず、道長は敦明親王を准太上天皇(上皇に準ずる存在)として遇し、小一条院の尊号を贈ります。
しかし実際には冷遇され、敦明親王は周囲との確執を深めていくのでした。
道長はさらに敦明親王を懐柔するため、娘の藤原寛子(かんし/ひろこ)を強引に入内させます。
露骨な政略結婚でしたが、敦明親王にも顕光にも抵抗する力はありません。
かくして延子は捨てられ(捨てさせられ)、寛仁3年(1019年)4月10日に絶望のどん底で世を去ったのでした。