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不気味すぎる…赤い着物のおかっぱ禿たちが都を監視!平清盛が放った子どものスパイ集団の実態【前編】

不気味すぎる…赤い着物のおかっぱ禿たちが都を監視!平清盛が放った子どものスパイ集団の実態【前編】:2ページ目

本当は白河天皇の子だった!?

娘を天皇の中宮とし、天皇の外祖父となり権力をほしいままにするも、その専横ぶりが反感を買うこととなった平清盛。

清盛は、永久6年1月18日(1118年)、伊勢平氏の棟梁である平忠盛(たいらのただもり)の嫡男として生まれました。

母親は、白河法皇の寵愛を受けていた祇園女御(ぎおんのにょうご)の妹で、姉に支えているうちに法皇に目をつけられ姉同様に寵愛を受けた女性という説があります。(祇園女御だったという説もあり)

そして懐妊したまま忠盛に下賜され、生まれたのが清盛なのではないかといわれているのです。その生母とは早くに死に別れてしまった分、忠盛は異常なほどの愛を清盛に注いだとか。

仁平3年(1153)父・忠盛の死後、清盛は平家武士団の棟梁として、平家一門を率い、軍事貴族の一人として鳥羽院に仕えることとなりました。

その後、保元・平治の乱で勝利をおさめ平氏政権を樹立。度重なる政争を勝ち抜いた平清盛とその一族は、平氏の全盛期を築き上げたのでした。

清盛の手腕は、さまざまな物語・映画・ドラマほか作品化されているため、歴史にそれほど詳しくないという人でも知っているのではないでしょうか。

平清盛の人物像は、猛々しく強引で自信満々の激情家で、権力基盤を形成してからは決して逆らうものを許さなかったとされます。

一説によると、築き上げた地位を揺るがぬものとするためには、どのような悪どい手段も厭わなかった……とも伝わっているほどです。

3ページ目 誰も悪口をいわないはスパイに監視されていたから…

 

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