かつて日本の最東端だった島「ミリ環礁」とは?日本統治時代の歴史をたどる:3ページ目
ミリ環礁の戦後・マーシャル諸島共和国の独立
その後、ミリ環礁を含むマーシャル諸島は昭和22年(1947年)からアメリカの信託統治領となり、ビキニ環礁の水爆実験(第五福竜丸事件)はじめ67回の核実験(1946~1958年)が行われるなど、戦火をも超える悲劇の舞台となります。
いつまでも大国のエゴに搾取されたくない。そんな思いから昭和54年(1979年)には自治政府が発足し、憲法も制定されました。
昭和57年(1982年)にはアメリカと自由連合盟約(コンパクト)を締結、信託統治領から脱却を実現。独立までもう一息です。
そして昭和61年(1986年)にはアメリカとの自由連合盟約国として独立を達成しました。
平成2年(1990年)にはアメリカの信託統治が終了、翌平成3年(1991年)には独立国家として国際連合に加盟します。
平成20年(2008年)にはオリンピックに初出場するなど、国際社会の一員として存在感を示していくのでした。
終わりに
今回はかつて日本の最東端だったミリ環礁について、その歴史の一部を駆け足で紹介してきました。
戦時の記録だけでなく、現地の人々や日本人がどのような暮らしを営み、文化を築いていったのかも興味があります。
二度とこの地が戦火に巻き込まれたり、核実験場にされたりしないよう願ってやみません。
※参考文献:
- 読売新聞大阪本社社会部『遥かなるミレー』新風書房、1994年3月