かつて日本の最東端だった島「ミリ環礁」とは?日本統治時代の歴史をたどる:2ページ目
敵中に孤立、飢えや病気に苦しみながら敗戦
……が、米軍はミリ環礁を素通りしてしまいます。
そこに敵がいるからと言って、戦略的に必要なければ律儀に攻略する必要はないからです。
ましてミリ環礁は最東端ということで軍備が増強されており、最大5,756名の陸海軍将兵を抱えていました。
出来れば米軍としてもこんな所はスルーしたかったのでしょう。
米軍は後方のクェゼリン環礁はじめ、北方の島々を相次いで攻略。制海権・制空権を失ったミリ環礁は敵中に孤立してしまいます。
補給や通信が著しく困難となり、栄養失調となった将兵は飢えや病気に倒れていきました。
ちなみに米軍からの攻撃もまったくなかった訳ではなく、艦載機の実戦訓練としてしばしば攻撃を受けたそうです。
ただし本気で攻略しようと思っていなかったことから、昭和20年(1945年)8月15日の敗戦まで、陥落することなく半ば放置されたのでした。
第66警備隊は昭和20年(1945年)8月21日に米軍へ降伏。翌8月22日に終戦の調印を行った後、9月28日から病院船氷川丸(ひかわまる)による生存者2,590名の引き揚げが行われます。
そして昭和27年(1952年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効、日本がこれまで獲得してきた海外領土はすべて放棄されたのでした。
かくして日本の委任統治領時代は終わりを告げます。