父親の権力の道具に…藤原道長の三女・藤原威子とはどんな女性だったのか【光る君へ】:2ページ目
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道長の絶頂を見届ける
これによって、道長は三后(皇后・皇太后・太皇太后)をすべて自分の娘で占める前人未到の偉業?を達成したのです。
皇后……三女・威子(後一条天皇)
皇太后……次女・姸子(三条天皇)
太皇太后……長女・彰子(一条天皇)
もはや道長には、一族でさえ誰も敵いません。権力の絶頂に昇りつめた道長は、この年の月見であの歌を詠んだのでした。
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の
欠けたることも なしと思へば【意訳】この世界は私のものだと思う。完全無欠な満月の如き、この私の……。
道長の高笑いが聞こえて来そうですが、肝心の威子は男児に恵まれず、授かったのは章子内親王(しょうし/あきらこ)と馨子内親王(きょうし/かおるこ)のみ。
それぞれ章子内親王は後冷泉天皇、馨子内親王は後三条天皇の中宮となりましたが、その後血統は絶えてしまうのでした。
やがて長元9年(1036年)4月に後一条天皇が崩御されると、威子はに同年9月4日出家。その2日後9月6日に38歳という若さで崩御されたのです。
終わりに
今回は藤原道長の三女・藤原威子について、その生涯をたどってきました。
父親が権力を握るための道具として内裏へ送り込まれた威子ですが、夫の後一条天皇と幸せな時を共にすることもあったのでしょうか。
果たしてNHK大河ドラマ「光る君へ」では誰がキャスティングされるのか、今から楽しみですね!
※参考文献:
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