処刑メンバーを「くじ引き」で決定。幕末に起きた凄惨を極めた切腹劇「堺事件」:3ページ目
その後
翌日、日本側とフランス側で話し合いがもたれ、9名の助命が決定。天皇からフランス側への謝意と共に国際問題としての収束をみた。
赦免された9名は熊本藩と広島藩に預けられており、その後流罪が決定した。この流罪はあくまでも形式的なもので、流罪場所は自国内(土佐の上田)であり、扱いも通常の罪人に比べ軽いものであった。
事件の噂はあっという間に広まり、事件の当事者である土佐藩士たちの墓には自国のために異国人と戦った英雄にあやかろうと多くの市民が詰め掛けたという。
処刑を免れた9名は、流罪の決定に意義を唱え自分たちの正統性を訴えたという。それは国防のために抜いた刀によって自らの腹を裂く事となった同志11名の無念を代弁したものであったのかもしれない。