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処刑メンバーを「くじ引き」で決定。幕末に起きた凄惨を極めた切腹劇「堺事件」

処刑メンバーを「くじ引き」で決定。幕末に起きた凄惨を極めた切腹劇「堺事件」:2ページ目

明治政府の立場と主張

当時の明治政府は成立したばかりの新政府であり、国内は戊辰戦争が継続中であった。政府としては内政が整わない折に外国との紛争を抱えるわけにはいかない事情があり、フランスとの関係性を重んじた。

ただし、フランス側の主張を全面的に受け入れる形の決着であっては、国内に残る旧幕府軍や攘夷論者の反政府運動が活発化する事を恐れた三条実美や岩倉具視は、処罰の軽減を要求。

結果的に、処罰の対象は土佐藩隊員全員から、隊長以下20名の隊士となった。

くじ引きで決定した処刑対象者

事件に関わった土佐藩士たちは取り調べを受け、29名の藩士が発砲を認めた

政府により決定した処刑人数は20名であり、指揮官4名の執行は決定したが、残りの16名は25名の中から「くじ」を引いて決める事となった。くじ引きは大阪の土佐稲荷神社で行われたとされる。

凄惨を極めた切腹

3月16日。刑の執行は摂津国(現在の大阪府)の妙国寺の境内で、フランス軍艦長や部下の水兵が立ち会う中で行われた。

藩士達は自らかき切った腹から臓物を引き摺り出し、それを見せつけながら居並ぶフランス兵達を恫喝したという。

11名が切腹したところでフランス側からの中止要請が入り刑は中断。9名が助命された。中止の理由には、日本側の報復を恐れた事や、土佐藩士に対する同情。また、切腹によって殉死した藩士達が英雄視されることへの懸念など、様々な憶測がなされている。

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