紫式部の夫・藤原宣孝はなぜ亡くなったのか?死因はまさかの!藤原行成『権記』によると… 【光る君へ】:2ページ目
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激務に追われた無理が祟ったのか、宣孝は痔を発症。何とかごまかしながら働いていたら、いよいよ深刻化してしまったようです。
痔の発症から約2ヶ月後、長保3年(1001年)4月25日に宣孝は世を去ってしまったのでした。
宣孝の死因が痔だったのか、あるいは他の病気だったのかについてはハッキリ記されていません。
しかし深刻な下血があったのは確かなようで、症状の似ている大腸がんなどの可能性も考えられます。
このころ紫式部は20代後半から30前半、娘の賢子はまだ2~3歳。一人娘を抱えながら、紫式部は悲しみに暮れたことでしょう。
終わりに
かくして宣孝と死に別れた紫式部。
その悲しみを癒し、向き合いながら生きていくために、かの『源氏物語』が書かれたと言われています。
宣孝との夫婦生活は必ずしも円満ではなかった、というよりむしろ嫉妬と喧嘩ばかりでしたが、それでも大切な夫でした。
そのことを偲ばせるよすがとして、言い寄る男を拒絶した和歌も伝わっています。
なお一人娘の賢子は母に似ず恋愛上手だったようで、恐らく宣孝に似たのでしょうね。
※参考文献:
- 『権記』国立公文書館デジタルアーカイブ
- 岡本梨奈『面白すぎて誰かに話したくなる 紫式部日記』リベラル新書、2023年11月
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