幕末の戊辰戦争であの「錦の御旗」を作った?大久保利通の愛妾・杉浦勇とはどんな女性だったのか
♪宮さん宮さん 御馬の前に
ヒラヒラするのは何じやいな
トコトンヤレ トンヤレナ
あれは朝敵征伐せよとの
錦の御旗じゃ知らないか
トコトンヤレ トンヤレナ……♪※大村益次郎「宮さん宮さん」
時は幕末、新政府軍の陣頭に燦然と翻った錦の御旗(錦旗)。朝敵征伐の大義を高らかに示したその旗は、実は偽造されたものとも言われています。
果たして錦の御旗はどのように作られたのか、そこにはある女性の協力があったとか。
彼女の名前は杉浦勇(すぎうら ゆう)。人々から「おゆう」とも呼ばれた彼女がどんな生涯をたどったのか、紹介したいと思います。
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「帯」として発注された錦の御旗
杉浦勇は京都祇園でお茶屋「一力(いちりき)」を営む杉浦為充(ためみつ。治郎右衛門)の娘として誕生しました。
成長して芸妓になったとも言われ、ほどなく大久保利通の愛妾となります。
京都御所の東に仮住まい(上京区石薬師通寺町)を与えられ、利通や志士たちを受け入れました。
彼らの世話や謀議の場を提供するなど、倒幕運動に重要な役割を果たしたと言えるでしょう。
そんな暮らしが慶応2年(1866年)から慶応4年(1868年。明治元年)まで続き、いよいよ徳川幕府を滅ぼす挙兵が間近に迫りました。
「我らこそ官軍なりと内外に示すための印が欲しい」
「ここは一つ、錦旗を掲げようではないか」
「しかしあまりにみすぼらしくては困る。どこかへ発注しようにも、錦旗偽造の秘策が漏洩しては元も子もない……」
「そうだ、女物の帯として発注してはどうだろうか?」
女物の帯であれば、人に知られても秘策が発覚する可能性は低いでしょう。
そこで大久保は、勇に自分の帯として西陣に錦旗を注文させました。
かくして偽造がバレることなく、出来上がった錦旗は倒幕戦争(戊辰戦争)の陣頭に燦然と輝きます。
新政府軍の士気は大いに高まり、みごと旧幕府軍を撃破したのでした。
勇もまた、明治維新において大きく貢献した一人と言えるでしょう。