実は目が見えていた!?奈良時代、艱難辛苦を経て来日した高僧「鑑真」の業績と作られた伝説:3ページ目
来日時は失明していなかった
2009(平成21)年、奈良国立博物館の西山厚学芸部長が衝撃的な発表をしました。なんと、日本に渡来した時に鑑真は目が見えていたというのです。
おそらく覚えている方も多いでしょうが、鑑真と言えば「来日する過程で何回も失敗し、その中で視力を失った」という有名な伝説があります。それが真っ赤な嘘だったというのです。
教科書にも必ずと言っていいほど掲載されている鑑真の像でも、彼は目を閉じています。こうしたこともあって、彼の「盲目伝説」は今まで強い信憑性を持って伝えられてきました。
とはいえ、鎌倉時代に作られた鑑真の伝記絵である『東征伝絵巻』にはしっかり目を見開いた鑑真の絵が描かれていたこともあり、渡来時に目が見えなかったという話にはもともと疑いがかけられていました。
そして、鑑真が東大寺の僧に経典の借用を申し出た自筆の手紙が正倉院に残されていたこともあり、彼が来日時に盲目だったという伝説は否定されるに至ったのです。
では、彼の盲目伝説の出どころはどこなのでしょうか?
これは前節でご紹介した『唐大和上東征伝』の文学的修辞の可能性があると考えられています。鑑真の死後、その業績が忘れ去られようとしていたことに憤りを感じた僧によって、その業績が誇張された可能性があるのです。
鑑真は来日時には目が見えていて、渡来後10年くらいで加齢のために目が見えなくなったのではないか、と現在では推測されています。
鑑真が五回もの失敗を乗り越えて六度目にようやく来日できた、という記述は今でも教科書に残っていますし、おそらくそれは本当なのでしょう。
しかし、上述のように鑑真は来日時に視力を失っていなかった可能性が高いです。よってあいまいさの回避と史実に反する可能性を考慮し、「苦労のあまり目が見えなくなった」というくだりは今では削除されています。
参考資料:浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社