手洗いをしっかりしよう!Japaaan

紫式部と夫・藤原宣孝の間に訪れる悲劇…。悲しみを乗り越えあの世界的古典が生み出される【前編】

紫式部と夫・藤原宣孝の間に訪れる悲劇…。悲しみを乗り越えあの世界的古典が生み出される【前編】:2ページ目

冷える夫婦仲

結婚前にはあれほど熱心に式部に迫っていた藤原宣孝ですが、次第に彼は式部の家に顔を出さなくなったのです。

宣孝は複数の妻を持っていましたが、その中でも一番若い式部の家に、結婚当初の宣孝は足しげく通っていました。その足が、だんだん遠のいていったのです。

結婚したとは言っても、当時は夫婦は同居せず、夫が妻の住む屋敷へ通う通い婚の形式が主流でした。宣孝がやって来るのを家で待つしかなかった紫式部。『紫式部集』には、その頃の彼女の歌が収められています。

 しののめの 空霧りわたり いつしかと 秋のけしきに 世はなりにけり
 (夜明けの空に霧が立ち込めて、早くも秋の景色になりました。あなたは早くも私に飽きてしまったのですね)

  横目をも ゆめと言ひしは 誰れなれや 秋の月にも いかでかは見し
 (浮気などしないと言ったのは誰だったでしょう。秋の月をどのように〈どなたと〉見たのですか)

  入るかたは さやかなりける 月影を うはの空にも 待ちし宵かな
 (あなたのお目当てが他の女だとわかっていたのに、私はあなたを上の空で、ずっと待ちわびていました)

という歌を贈ると、宣孝はこう返します。

 さしてゆく 山の端もみな かき曇り 心も空に 消えし月影
 (訪ねようと思ったのですが、あなたの機嫌が良くなく、行けなかったのです)

式部はやがて、こんな心境になります。

 たが里も 訪ひもや来ると ほととぎす 心の限り 待ちぞわびにし
 (ほととぎすは、誰の里にも訪れるといいます。私も一心に待っていたのですが、あなたは現れませんでした)

二人の関係が修復されることはありませんでした。しかも、宣孝の別れはある日突然にやって来たのです。その詳しい内容は【後編】で説明します。

【後編】の記事はこちら

紫式部と夫・藤原宣孝の間に訪れる悲劇…。悲しみを乗り越えあの世界的古典が生み出される【後編】

宣孝の死大河ドラマ『光る君へ』で話題沸騰中の紫式部。【前編】では、彼女の夫である藤原宣孝との関係がぎくしゃくしてしまったところまでを説明しました。前編の記事: [insert_post i…

参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)

 

RELATED 関連する記事