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片道切符の特攻…太平洋戦争で大量の死者を続出、人間爆弾と恐れられた殺戮兵器「桜花」

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なぜ特攻は必要だったのか

1941年12月8日、日本軍はイギリス領マレー半島とハワイ・真珠湾の同時奇襲攻撃作戦を開始。翌年にはミッドウェー海戦やソロモン諸島を巡って消耗戦となり、熟練パイロットや戦闘機を多数消失したうえ、工業生産力に勝るアメリカ軍に追い詰めらてしまいます。

そこで、日本軍の上層部は「通常攻撃では歯が立たない」と判断し、特攻でしか勝ち目がないと考えるようになったのです。

1944年10月、第一航空艦隊司令長官に着任した大西瀧治郎中将は「神風特別攻撃隊」と名付けた部隊を編成します。これが、初の特攻専門組織の結成でした。

その後、特攻隊の活躍により敵の主力艦隊や航空機の撃破に成功し、特攻は攻撃の要として導入されるようになったのです。

沖縄本土戦

1945年3月、沖縄本土に50万もの敵軍隊が侵攻を開始しました。これは、国内唯一の地上戦で、日本史上最悪の戦争といわれるものです。

沖縄本土で生活していた一般市民は、弾丸の雨(鉄の雨)の犠牲となり、沖縄本土戦での合計死者数は20万人以上。

また、この戦争では多くの特攻隊が動員され、沖縄本土戦の最終日には陸海合わせて300機以上もの戦闘機や爆撃機が特攻しました。

その部隊の中に桜花もいたと考えられます。

桜花の開発に携わった開発メンバーのひとりは、兵器の開発を悔やみ当時の経験を活かして新幹線を開発するなど、後世の平和のために尽くしました。

戦時中には悲しくも兵器として使用されてしまった科学技術が、現代では仕事時間を短縮したり旅を楽しんだりする便利な新幹線の開発に生かされています。今後は科学の力が、便利で生活を豊かにするもののみに使われることを願ってやみません。

 

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