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実はかなり高い教養があった紫式部の弟・藤原惟規。詠んだ和歌に見える彼の才能【光る君へ】

実はかなり高い教養があった紫式部の弟・藤原惟規。詠んだ和歌に見える彼の才能【光る君へ】

人知れぬ思いを煙に乗せて……。

人しれず 思ひを身こそ 岩代の
野やくけぶりの むすぼほれつゝ

※『藤原惟規集』(三)

【意訳】人には言えない思いを抱えて苦しんでいる。岩代(いわしろ。福島県西部)国で行われている野焼きの煙に乗って、あなたへの思いが結ばれないものだろうか。

岩代(いわしろ)を「言わじ路(人には決して言わない恋の路)」とかけて、野焼きの煙にもどかしい思いを詠んでいます。

果たして一生涯、本当に言わなかったのか、相手は誰だったのかが気になりますね。

波間に翻弄される心……。

浮き沈み 波にやつるゝ 海人舟の
やすげもなきは わが身なりけり

※『藤原惟規集』(六)

【意訳】荒い波間に浮き沈みしている海人舟(あまぶね)のように、私の心身は一時も安らぐことがない。

これは比較的ストレートですね。荒波にもまれる小舟のような、心もとない思いを表現しています。

果たして誰を思って詠んだのか、とても気になるところですね。

今に見ていろ。自分だって……。

山がくれ 咲かぬ桜は 思ふらむ
我だにをそき 春のひかりと

※『藤原惟規集』(十八)

【意訳】山奥でまだ咲かずにいる桜は、きっとこう思っているだろう。
「少し遅いかも知れないが、私だってやがて咲き誇り、光り輝く時がくるのだ」と。

いつも姉・紫式部と比べられて、凡庸なイメージで見られがちな惟規。

しかし先ほど紹介したとおり、彼は凡庸どころか父譲りの逸材でした。

まるで山奥深く埋もれながら、これから咲こうとしている桜のように、彼も光り輝こうとしていたのでしょう。

3ページ目 図らずも辞世に…力尽きた最期の一文字

 

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