あまりの恐怖で体動かず…飛鳥時代、蘇我入鹿の暗殺を失敗しかけた佐伯子麻呂と葛城稚犬養網田の活躍劇:2ページ目
恐怖心により体が動かず
そして、皇極天皇4年(645)に三韓である新羅・百済・高句麗の使者が貢物をも持って来日する三国の調が大極殿にて催されます。
この儀式には入鹿も出席しており、これを逃すまいと中大兄皇子や鎌足、子麻呂、網田の4人は大極殿に潜み機会をうかがっていました。
しかし、入鹿を暗殺する役目を担っていた子麻呂と網田の2人は、水で流したご飯を吐いてしまい、鎌足が叱咤激励するくらい恐怖心が芽生えてしまいます。
また、中々現れない2人に上表文を読んでいた中大兄皇子たちの協力者・蘇我倉山田石川麻呂の焦りを入鹿に不審がられてしまった威圧感にも恐怖してしまい、立ちすくんでしまいました。
無事に入鹿暗殺
この状況を見かねた中大兄皇子が飛び出たことをきっかけに2人も飛び出し、中大兄皇子が
入鹿の頭と肩を子麻呂が片脚を斬りつけました。
驚いた入鹿は皇極天皇に「私に何の罪があるのですか?お裁きください。」と訴えます。
それに中大兄皇子が「入鹿は皇族を滅ぼして、皇位を奪おうとしています。」と答えると、皇極天皇は大極殿の奥に退いていきました。
その様子を見た子麻呂と網田は入鹿を斬り伏せ、トドメを刺しました。