明治の毒婦と呼ばれて…死んでもなお人生や遺体を辱められた薄幸の女性「高橋お伝」【前編】:2ページ目
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明治9年、膨らむ借金に困ったお伝は古着屋の後藤吉蔵に相談します。すると、「一晩付き合うなら貸さないこともない」との返事が。
お伝は吉蔵の話を受けて、吉蔵と旅籠屋で一晩を共にします。翌朝、吉蔵に借金を申し出ると、「そんな金はない」と。「こんちくしょう!」とキレたお伝は、吉蔵の喉をカミソリで切りつけたのです。
吉蔵の殺害後、お伝は吉蔵のサイフから11円を盗み、旅籠屋の女中には「夫をまだ起こさないように」と伝えて逃走。事件後、2週間ほどのちにお伝は逮捕されます。
逮捕された当初、お伝は罪を自白していましたが、裁判になると「吉蔵は自殺だった」と殺人を否認し続けました。お伝の主張は認められず、明治12年、お伝に斬首刑が言い渡されてしまいます。
斬首されたあと、お伝の人生は脚色されて毒婦となり、その遺体は解剖後に性器がホルマリン漬けになるという辱めを受けてしまうのです。
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明治の毒婦と呼ばれて…死んでもなお人生や遺体を辱められた薄幸の女性「高橋お伝」【後編】
前回、明治の毒婦と呼ばれた高橋お伝が斬首されるまでを紹介しました。今回は、斬首後のお伝について見ていきましょう。前編はこちら[insert_post id=221122]明治12年(…
参考書籍:「実録怪談 幕末の怖い話」
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