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平安アーティストの頂上決戦!日本史上最古の画家・百済河成vs飛騨工のエピソードを紹介

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現代に伝わる名古曽滝

ちなみに河成は造園にも心得があり、嵯峨院の造営に際して滝殿の石組みも造り上げました。

この滝は名古曽(なこそ)滝と呼ばれましたが、平安中期には涸れてしまったそうです。

が、名古曽滝は永く愛され続け、その美しさを詠んだ有名な和歌が現代に伝わっています。

滝の音は たえて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞えけれ

「小倉百人一首」でも有名なこの和歌を詠んだのは大納言公任(だいなごん きんとう)の名で知られる藤原公任です。

【意訳】滝の水が涸れて、その音も聞こえなくなって久しい。しかしこの美しい滝を造った河成の名声は、今も聞こえ続けている。

「な」こそ「な」がれて「な」ほきこえけれ、という音の軽妙なつながりがいいですね。

この名古曽滝は千年以上の歳月を経た大正11年(1922年)に国の名勝「大沢池 附 名古曽の滝跡」として指定されました。

また平成6年(1996年)から発掘調査が行われ、中世の遣水(やりみず)遺構が発見されます。

そして平成11年(1999年)に復元完了。河成の名を一層高めることになったのでした。

終わりに

以上、『今昔物語集(百済川成と飛騨の工と挑みし語)』より百済河成と飛騨工のエピソード+‪αを紹介してきました。

二人の頂上決戦?は一勝一敗の引き分けといったところでしょうか。

名古曽滝が現存している分だけ、河成の判定勝ちとしてあげたいところです。

他にも百済河成や飛騨工の作品が発見されないか、今後の探求がまたれます。

※参考文献:

  • 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年4月
  • 森田悌『全現代語訳 続日本後紀 下』講談社学術文庫、2010年10月
 

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