平安貴族は週休2日?半年で出勤30日!?彼らの勤務シフト例がこちら【光る君へ】:2ページ目
半年で30日さえ出勤しない者も?
例えば安和2年(969年)の記録によると、昨年の正月から当年9月までの間、外記政がきちんと行われたのは月に3~8日とのこと。これでは政務が滞ってしまうのも無理はありません。
あまりに酷いため、半年間の出勤が30日に満たなかった者は季禄(きろく)と時服(じふく)の支給を停める措置がとられました。
季禄とは2月22日と8月22日に支給された定期ボーナス。時服とは6月20日と12月20日に支給される衣替え費用です。
半年間で30日ってずいぶん甘すぎるような気がしますね。それさえ出てこないって、ちょっといかがなものでしょうか。
ちなみに、欠勤の理由はだいたい方忌(かたいみ)か触穢(しょくえ)。前者は「職場の方角へ行くと凶運であると占いに出た」というもの、後者は「ケガレにふれてしまったから、神聖なる職場を穢す訳にはいかない」というものです。
ケガレとしては死(身内だけでなく、道で死体を見かけた等も含む)や傷病、お産などが理由にされています。
ただし、これらは自分たちの都合で使い分けており、方角が悪かろうとケガレてしまおうと出勤する時はしていました。
たいてい後からそれが問題になるのですが、とにかく彼らは利用できるシステムを利用しながら、上手く立ち回っていたようです。