薩摩藩vsイギリス「薩英戦争」実は善戦していた薩摩藩!そのうえイギリスとも仲良しに:2ページ目
善戦できた二つの理由
薩英戦争で、薩摩藩は一方的にやられたわけではありません。そもそも薩摩藩の死傷者は19人で、イギリス軍は63人と大きな差があります(イギリスの死傷者数については諸説あり)。
ではなぜ、イギリスはこれほどの大損害を受けたのでしょうか。
その大きな理由は二つあります。ひとつは、当時の天候が大嵐だったことです。
実は薩英戦争が始まったその日は、鹿児島湾に強風が吹き付けていました。よって荒波の中での戦闘となり、イギリス軍艦は照準がうまく定まらなかったのです。
また、強風によって押し流され、薩摩藩の砲台の射程距離内に押し出された艦も多くありました。例えばユーリアラス号がそうで、沿岸付近に押し流されたため艦長と副館長が戦死しています。
薩摩藩が善戦したもうひとつの理由は、イギリス軍の装備に不備があったことです。当時のイギリス艦隊が使っていたのがアームストロング砲で、これはものすごい破壊力と射程距離を持つ当時の最新兵器でした。しかし薩英戦争では射撃不良と暴発によって死傷者が出ていたのです。
これらの理由から、イギリス軍は実力を発揮することができず「完全勝利」を諦めたのでした。
よって、「薩英戦争でイギリス軍は薩摩藩を圧倒した」という一般的なイメージとは反対に、どちらかというとこの戦争は痛み分けに終わった形だったのです。