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四国の覇者のあっけない最後……信長、秀吉らの思惑に翻弄された戦国武将・長宗我部元親の人生【後編】

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四国の覇者のあっけない最後

長曾我部元親は阿波の平定後、讃岐へ逃げ延びた十河存保の残党勢力を制圧しました。讃岐へ逃げていた十河存保でしたが、これ以上の逃げ場を失ってしまい、羽柴秀吉(豊臣秀吉)のもとへ泣きつき救援を懇願。そして羽柴秀吉が、14万もの兵を引き連れて四国を奪いにきたのでした。

四国を統一した覇者といえど、天下を支配した羽柴秀吉の勢力に敵うはずもなく、瞬く間に蹂躙されてしまいます。こうして、四国の覇者「長曾我部元親」の物語は幕を下ろしたのです。

ちなみに十河存保はその後、かつて所有していた領地「讃岐十河3万石」を秀吉より与えられました。大名として復帰しましたが、阿波の所領権は認められていません。さらに、翌年の1856年に羽柴秀吉の九州征伐で無謀な作戦に任命され、戦死しています。

四国をめぐって争った長曾我部元親と十河存保は、どちらも羽柴秀吉の手によって消されてしまいました。

しかし、日本列島と分離された四国という後進地で活躍した長曾我部元親の実力は確かなものであり、彼が本土で活躍していれば日本統一を成し遂げていたかもしれません。

 

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