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全身から血を噴いて崩御…幕末期の孝明天皇の突然死で囁かれた「岩倉具視犯人説」を検証【前編】

全身から血を噴いて崩御…幕末期の孝明天皇の突然死で囁かれた「岩倉具視犯人説」を検証【前編】:2ページ目

全身から出血する最期

孝明天皇の最期の様子については、宮内庁編纂の『孝明天皇紀』を始めとする詳細な記録が残っています。

定説では、彼に天然痘をうつしたのは、宮中で奉仕していた児童丸という子供だったとされています。児童丸が天然痘にかかり、治療のため一度は退出したものの、回復したとみられたため再び参内したところ、それが天皇に感染したというのです。

天皇が発症したのは12月11日のことでした。宮中内侍所で神楽を観覧している際に気分が悪くなり、翌日には高熱を発しています。

最初、御典医は「風邪」と診断しましたが、14日には顔や手に発疹があらわれ、診断は「痘瘡あるいは赤痢」に改められました。

そして15から16日にかけて全身に発疹が出て、これによって正式に「痘瘡」つまり天然痘だと断定されました。

19日には食欲が出て安眠できるようになり、快方に向かったとされていますが、しかしその後24日になって病状が急変。再び発熱して「えずき」がひどくなり、夜中から翌朝にかけて吐き気を止める薬を服用します。

そして翌日の25日には痰がひどくなり、脈も弱まって身体が冷えていきました。死の直前には体に紫の斑点が見られ、全身の「九穴」すなわち体の穴という穴から血を噴いて亡くなったというから悲惨すぎます。

【後編】では、さらに具体的な孝明天皇の病床記録と、当時から噂されていた「岩倉具視犯人説」について検証します。

【後編】の記事はこちらから

参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年
磯田道史『日本史を暴く』中公新書・2022年

 

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