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石田三成はじめ有能ぞろい!豊臣政権を支えた5人の家臣「五奉行」の各奉行を一挙ご紹介【どうする家康】

石田三成はじめ有能ぞろい!豊臣政権を支えた5人の家臣「五奉行」の各奉行を一挙ご紹介【どうする家康】

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2023/10/30

土木担当・増田長盛

五奉行の中では主に土木を担当していた増田長盛(ました-ながもり(演:隈部洋平さん))は、天正元年(1573)に秀吉に仕えます。

天正10年(1582)には奏者に任命され、上杉景勝との外交を担当しました。

以後、天正13年(1585)より長曾我部氏、天正18年(1590)より下野・常陸・安房の各大名といった諸大名との取次を任されました

文禄4年(1595)、豊臣秀保が病没したことで、秀保が所有していた大和国郡山城20万石の領地を拝領されます。

秀吉死後、家康と三成が対立すると、長盛は西国の大名に西軍加担の文を送り、三成に味方する姿勢を見せます。

一方で家康に三成の状況を報告する密書を送っており、スパイとして暗躍していました

しかし、伏見城の戦いや関ヶ原の戦いでは、西軍として参加していました。戦後には出家して謝罪したものの改易。高野山に追放となりました。

高野山を出た後は、高力清長預かりとなるも、元和元年(1615)の大坂夏の陣では自らが烏帽子親を務めた長曾我部盛親の軍に与しました

息子の増田盛次は徳川軍から豊臣軍につくも討ち死に。長盛も戦後自害を命じられ、71歳で生涯の幕を閉じました。

5ページ目 財政担当・長束正家

 

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