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明治維新の超大物政治家・山県有朋の人と業績を探る【中編】~その思想と信念~

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「軍事・政治」分離思想

山県有朋という人物が強権主義的だったかどうかについては、さまざまな解釈があります。ただ、彼はもともと軍事と政治を完全に分かつことを是としており、少なくとも政治が軍事に口を挟むことは徹底して戒めたと言えるでしょう。

彼は、政治が軍事に介入することを防ぐため、1878年に参謀本部を設置しました。そのトップである参謀本部長は、軍事に関しては天皇をサポートする最高機関であり、陸軍卿や政府からも独立した存在として位置づけたのです。

こうして軍令権は、後に大日本帝国憲法第11条で、政府も議会も干与(関与)できない統帥大権として規定されました。こうして「政治家の軍事への介入」は厳しく戒められます。

問題は、反対に「軍事が政治に介入する」ことを山県は自ら徹底したのかどうかですが、これについてはやや怪しいところがあります。

山県自身はかなり政治に関わっています。と言うより、ほぼ完全に「政治家」です。1882年に参事院議長になったのを皮切りに、その後も数年おきに行政上の重要ポストに就いていますし、その後は総理大臣にも就任。にもかかわらず、同人現役の軍人として長く軍部の要職にありました。

このあたりは「軍人が政治に干与している」と言われても仕方ないところで、その後も、軍人が文官の要職に就くというやり方は桂太郎にも引き継がれ、その後も軍人政治家が続出することになったのは周知のごとくです。(【後編】に続く)

参考資料
八幡和郎『歴代総理の通信簿』2006年、PHP新書
宇治敏彦/編『首相列伝』2001年、東京書籍
サプライズBOOK『総理大臣全62人の評価と功績』2020年

 

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