明治維新の超大物政治家・山県有朋の人と業績を探る【前編】~「徴兵制」施行まで~:2ページ目
松下村塾から奇兵隊へ
そんな彼がのし上がるきっかけになったのは、かの松下村塾で吉田松陰の門下に入ったことでした。
山県はもともと1838(天保9)年、長門国萩城下川島庄の生まれで、21歳の時には藩から京都へ派遣されて尊王攘夷思想の洗礼を受けています。そして藩に帰ってきてから久坂玄瑞の紹介で松下村塾へ入門したのです。
彼が塾生だった期間はごく短いものでしたが、吉田松陰からはかなり強く影響を受け、生涯に渡って師と仰いでいたといいます。
こうした縁もあって、山県は志士たちと行動を共にするようになりました。さらに奇兵隊の幹部にもなり、軍勢を率いて倒幕運動にあたります。1864(元治元)年と1866(慶応2)年の長州戦争、さらには戊辰戦争でも活躍しました。
この、奇兵隊からスタートした「軍人」としての経験と知見が、その後の日本での近代的軍政づくりへとつなかっていきます。