「朝ドラらんまん」に登場する早川逸馬のモデル!民権運動に捧げた植木枝盛の生涯【その3】:2ページ目
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国会議員当選と最期
国会開設の時代を迎え、枝盛は国政に関わるようになっていきます。
明治23年(1890年)、帝国議会開設に伴って第1回衆議院総選挙が実施。枝盛は高知県から立候補して見事に当選を果たします。
しかし枝盛は、長年の協力関係にあった板垣退助らと意見が衝突。そのため立憲自由党を脱退し、愛国公党(土佐派)系を率いる立場となります。
同年8月、枝盛は富士山に登山。意気軒昂に活動したかに見えた枝盛でしたが、体はすでに病魔に蝕まれていました。
明治25(1892)年1月23日、胃潰瘍が悪化したことで病没。享年36。墓地は青山霊園にあります。
翌月には第2回衆議院総選挙が実施される予定でした。加えてあまりの若さだったため、毒殺説が浮上しています。
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