実は織田家を代表する気性の荒さ!?鬼武蔵・森長可の破天荒さがわかるエピソード3選【どうする家康】:2ページ目
甲州征伐で2度の軍規違反
次は天正10年(1582)の甲州征伐の頃。25歳の長可は、先鋒部隊に同い年の団忠正と抜擢されます。2人は松尾城や飯田城といった武田が守る城を次々と落としていきました。
そして、仁科信盛が守る高遠城を攻める際、信長より織田信忠率いる本隊が到着するまで前進は控えるよう命令されていました。
しかし、2人はそれを無視して鉄砲を撃ちかけ前進するという軍規違反を犯しました。これについて信長より書簡で注意を受けますが、9日後にも同じことを犯して再度信長に注意されるほど、血気盛さが目立った若武者でした。
その後は信忠の本隊と合流し、高遠城を落城させています。
神蛇を喰らう
最後に紹介するエピソードは小牧・長久手の戦いの頃。羽黒の戦いで敗走した長可は、部隊編成の陣を張るため、二ノ宮の森の神社まで移動していました。そこに現れた神主からは「ここの神は穢れを嫌います。穢れ無き者以外は立ち去りなさい」と伝えました。
これを聞いた長可は「何を言っているんだこの神主は。不満があるなら鉄砲で撃ち抜くぞ!!」と激怒。
すると、長さ約3メートルの蛇が長可たちの前に現れました。「これがこの神社の御神体です!」と神主は伝えますが、長可は怯まず部下に命じて蛇を斬り刻みます。
そして、長可は刻まれた蛇を生のまま三口食べました。この様子に身の毛がよだった神主はその場から立ち去ったのでした。
実は家族と部下思いの長可
ここまで長可の破天荒と思えるエピソードを紹介しましたが、家族や部下を思いやるギャップがありました。
それが顕著だったのは、遺言で弟の忠政は秀吉の奉公衆とすることと娘のおこうを京都の町医者のような人物に嫁がせるよう書き残したことです。
自身がいつ死ぬかわからないこともあり、2人には戦場とは程遠い場所に行かせたかった長可の優しさがうかがえます。また、三木合戦で負傷した重臣・各務元正(かがみ-もとまさ)の元に毎晩見舞いに行ったというエピソードもありました。
このように長可には先で紹介した破天荒さと裏腹に意外な一面があり、そこが長可の魅力と言っても過言ではありません。
トップ画像(右):NHK大河ドラマ「どうする家康」公式ページより