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血筋も才能も一流なのに……徳川家康の次男の子「松平忠直」はなぜ強制隠居となったのか?

血筋も才能も一流なのに……徳川家康の次男の子「松平忠直」はなぜ強制隠居となったのか?:2ページ目

よろしくない行動が目立つように……

恩賞が少なかったことに不満を抱いた松平忠直は、酒におぼれたり、多くの妾を持つようになったりと、生活が荒れていきます。

病気を理由として参勤交代を拒否したり、家臣の未亡人を見初めたところ断られたことをきっかけに一家を惨殺したりするなどの行為もあったと言います。また、正室の勝姫が邪魔になったと、殺害を企てたとも言われています。

将軍から隠居を命じられる

上記のようなさまざまな行為により、1623年、将軍である徳川秀忠から隠居を命じられます。

豊後国(現在の大分県)の府内藩(ふないはん)へ配流。これは、将軍によるほかの大名への見せしめだったとも考えられています。1650年、松平忠直は56歳で当地で亡くなっています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

 

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