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織田信長を支え続けた柴田勝家。その子供たちを一挙に紹介!【どうする家康】

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勝家の三男・柴田勝豊(かつとよ)

生年不詳〜天正11年(1583年)没

通称は伊賀守(いがのかみ)。この官職は自称(官途名)です。

越前国丸岡城を預かっていましたが、やがて父と不和になって離反。羽柴秀吉に寝返りました。

しかし天正11年(1583年)4月16日、父に先立って世を去ります。何があったのでしょうか。

暗殺したのは父か、あるいは秀吉か……そんな事を考えてしまいますね。

勝家の長女・高城胤則室

生没年不詳

勝家の家臣・中村文荷斎(なかむら ぶんかさい)の娘で、高城胤則(たかぎ たねのり。源次郎)に嫁ぎました。

勝家の子孫たち

以上、柴田勝家の子供たちを紹介してきました。長女はともかく、息子たちはそれぞれ哀しい最期を遂げています。

ちなみに次男・勝政には息子がおり、柴田の家名を後世に受け継ぎました。

【柴田家略系図】

勝家=勝政―勝重(かつしげ)―勝興(かつおき)―勝門(かつかど)―勝富(かつとみ)―勝定(かつさだ)―勝曠(かつひろ)―勝満(かつみつ)―勝房(かつふさ)―金六郎(きんろくろう)……

少なくとも18世紀の半ばまで存続しているのが確認出来ます。もしかしたら、現代もどこかで勝家の子孫が活躍しているかも知れませんね。

※参考文献:

  • 高柳光寿ら編『新訂 寛政重脩諸家譜 第6』平文社、1964年12月
 

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