朝ドラ「らんまん」堀井丈之助のモデル?小説家・坪内逍遥の生涯②:2ページ目
2ページ目: 1 2
落第を乗り越えて文学士となる
ドラマの堀井丈之助は、困窮した学生という姿で描かれていました。実際の逍遥も暮らし向きは楽ではなかったようです。
明治15(1882)年、父・平之進が他界。最愛の身内の死は、またもや逍遥に衝撃を与えていました、
翌明治16(1883)年、逍遥は政治学の試験(講師はフェノロサ)に落第。これによって給費生の資格を剥奪されてしまいます。
しかし逍遥は、以前から下宿先の神田猿楽町や本郷の進文学舎で英語を教えるなど自活していました。
苦学生としての日々を送りながら、逍遥は同年7月に東京大学文学部政治科を無事に卒業。見事に文学士となりました。
卒業後、逍遥は同級生だった高田早苗の誘いで東京専門学校(早稲田大学の前身)の講師に就任。外国の歴史と憲法論を担当して学生の指導にあたります。
明治17(1884)年5月、シェイクスピアの翻訳本『自由太刀余波鋭鋒』を刊行。この時初めて「逍遥遊人」の号を用いました。
この由来は「ぶらぶら歩く」という意味があるそうです。なんだか朝ドラの堀井丈之助と近い雰囲気が感じられる名前ですよね。
ページ: 1 2