義によって助太刀致す!飯尾連龍(渡部豪太)の恩に報いた森川助右衛門の最期【どうする家康 外伝】:2ページ目
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助右衛門の子孫たち
●某 助右衛門
はじめ今川氏真に仕へむがために、その臣飯尾豊前守致実がもとにあり。永禄七年致実東照宮に志を通じたてまつるにより、氏真怒りてこれを誅伐せしむ。こゝにをいて、兵士来りて飯尾が宅を囲む。ときに豊前守助右衛門にいふ、汝は浪人なれば速に他邦にさるべしと、再三に及ぶといへどもきかず。我こゝをさりていづくにゆかむや、ともに出て戦はむとて、つゐに門をひらき突ていで、敵数輩をうちて戦死す。
※『寛政重脩諸家譜』巻第四百十一 宇多源氏(佐々木支流)森川
以上、森川助右衛門のエピソードを紹介してきました。仕官こそ叶わずとも、武士として立派な最期だったと言えるでしょう。
そんな助右衛門の子・森川照道(てるみち。助右衛門)は父の討死から5年後の永禄12年(1569年)に徳川家に仕官しました。
以来代々徳川家に仕え、助右衛門の遺徳を後世に伝えたということです。
【森川家略系図】
堀部定泰-森川定兼-某(助右衛門)―照道ー照憲―照方-照重-政記(まさとき)-政方-政明-政光-政之―政寧……
※『寛政重脩諸家譜』巻第四百十一 宇多源氏(佐々木支流)森川
天下を争った大名クラスの英雄たちには敵わずとも、自らの意志と力で生き抜いた者たちもまた、歴史に埋もれた英雄と言えるでしょう。
当然NHK大河ドラマ「どうする家康」には影も形も見えませんでしたが、こうした”無数の助右衛門たち”に思いを馳せるのも、悪くないかと思います。
「あのモブキャラ、どんな人生を歩んできたんだろう」
「もし自分がこの時代のこの場面にいたら、あそこで駆けずり回っている彼のようだったろうか」……とか何とか。
※参考文献:
- 『寛政重脩諸家譜 第三輯』国立国会図書館デジタルコレクション
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