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武将・松永久秀は本当に大仏を焼いたのか?彼が日本史上屈指の極悪人とされた本当の理由

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「松永久秀悪人説」を語り継いだのは誰か

そんな調子で5月になると、三好三人衆は奈良の東大寺大仏殿・二月堂などを占領。さらに久秀も戒壇院を占領して大仏殿にいた三人衆軍を銃撃しますが、今度は三人衆が久秀の手下に賄賂を渡して裏切らせ、久秀軍の陣地に放火させるなどしました。

しかし、久秀の軍勢は放火も何のその、敵軍を撃退すると大仏殿にいた三好三人衆に奇襲をかけました。このどさくさの中で、大仏は焼けてしまったのです。

このように、宗教施設に土足で上がり込んで勝手に戦闘を始めるめちゃくちゃぶりで、当時の僧侶たちの頭を抱える姿が目に浮かぶようです。大仏が焼けたのは一個人による放火が原因と考えるよりも、この混乱に巻き込まれた結果だと考えた方が納得がいくのではないでしょうか。

しかしその後、松永久秀が大仏を焼いた犯人扱いされたのは、この後の彼の振る舞いにありました。なんと大仏が焼けた直後、東大寺に彼の使いがやってくると、詫びるでもなく、寺の中にあった金銀財宝と食料を奪っていったのです。

このことから東大寺は、久秀のことを「積悪の主」と呼んで呪ったとか。

もともと当時の僧侶は知識階級でもあり、寺社による記録は、その後の歴史観・歴史批評に大きく影響してきました。こういった事情もあり、久秀は稀代の悪人として語り継がれるようになったのです。

参考資料
磯田道史『日本史を暴く』中公新書・2022年

 

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