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伝説の義賊・ねずみ小僧は変質者だった!?そのドン引きな手口と盗んだ金品の行方

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盗賊あるいは変質者としての実態

また、仁加保家では、賊の足跡をたどって侵入経路などを調べていますが、この調査結果がまたドン引きものです。治郎吉はわざわざ庭をうろちょろしてから、女性の便所の縁側に行き、そこから屋根を伝っていった形跡があったというのです(ちなみに治郎吉にはとび職の経験がありました)。

このあたりから、治郎吉の盗人としての「手口」というよりも、その「性癖」がなんとなく見えてくるのではないでしょうか。執拗に女性の部屋を狙って侵入しては、女性用トイレにまで潜むというその行動は、変質者のそれに近いものがあると言えるでしょう。

さて、ではそんな鼠小僧・治郎吉は「義賊」だったのかどうかですが、これも磯田の発見した資料にきちんと記録が残っていました。

彼が盗んだ金銭の総額は「三千三百八拾弐両壱分程也」とも「金一万弐千両程」とも書かれており、それらの金は全て悪所場(遊里と芝居町)や盛り場で飲酒・遊興・博打に使われたというのです。

伝説の通りに彼の盗んだ金銭が庶民にばら撒かれた形跡は、一切ありませんでした。

伝説の起源

では、こんな男がなぜ後世で義賊と言われるようになったのでしょうか。

これについて磯田は、「江戸庶民の権力者への反感」があったのではないかと述べています。こうした反感がもとになって、武家の威信を傷つける悪のヒーローを心待ちにするような心理が、当時の庶民にはあったのでしょう。

実際、幕府が倒れたのは鼠小僧・治郎吉が処刑されてからたった35年後のことです。

参考資料
磯田道史『日本史を暴く』中公新書・2022年

 

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