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理想郷づくりが仇に…「九州三国志」最強の大友宗麟が島津に敗北するまで

理想郷づくりが仇に…「九州三国志」最強の大友宗麟が島津に敗北するまで

島津兄弟に敗れる

1578年11月、総大将の大友宗麟が不在の状態で。6万の大友軍は高城を包囲しました。これに対して島津義久・義弘・歳久・家久の四兄弟が出陣し4万の兵で対抗します。

島津軍が採った戦術は、得意のおとり作戦である釣り野伏でした。これで大友軍をどんどん打ち破っていくと、大友軍も一時停戦と撤退を選択します。

しかし翌日、大友軍内部の停戦反対派の一軍が独断で島津軍を攻め始め、これに引きずられて大友本隊も戦場へ出ていきました。

結束力を失った大友軍を、島津軍は一気に包囲して撃退し、さらに耳川で追撃します(耳川の戦い)。これにより大友軍の兵士のほとんどが戦死あるいは溺死しました。

宗麟も命からがら敗走しますが、これを境に、大友氏はどんどん衰退していくことになります。最強を誇っていた大友氏ですが、理想郷の構想に囚われて求心力を失っていた宗麟は、島津兄弟の連係プレーに敗れたのです。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年

 

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