名前のインパクト強烈!鎌倉の片隅に祀られた北条秀頼とは何者だったのか:2ページ目
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天神山の城主だった?
さて、その後「北条秀頼」でググってみたところ、出て来たのは豊臣秀頼(とよとみ ひでより)や北条氏がほとんど。
もうちょっと捻ってみようと「玉縄北条氏」で調べてみても芳しい成果は得られず。歴代の玉縄城主などを調べても2月13日に亡くなった者は見つかりませんでした。
なお、山崎妙法寺の背後にそびえる天神山(てんじんやま。北野神社を祀っている)はかつて玉縄城の出城(砦)であったとされ、天神山城遺跡からは古代から近世まで様々な遺構や遺物が出土しています。
山崎
もと鎌倉郡山崎村・洲崎村。円覚寺塔頭黄梅院領。東は台、西寺分、南梶原、北柏尾川(戸部川)を限り、天神山の南東に位置する「山崎狭隘」の要衝の地。新田義貞鎌倉攻めの「洲崎古戦場」に含まれ、北野天神社を祀る天神山は砦とみられる。……※『鎌倉の地名由来辞典』
もしかしたらこの北条秀頼とは天神山城主で、豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)による北条征伐に際して奮戦・討死あるいは自害したのかも知れません。
そして気になるのが「他一名」。果たして何者だったのか、今後も調査してみたいと思います。
※参考文献:
- 槇野修『決定版 鎌倉の寺社122を歩く』PHP新書、2013年1月
- 三浦勝男 編『鎌倉の地名由来辞典』東京堂出版、2005年9月
- かまくら春秋社 編『鎌倉の寺 小事典』かまくら春秋社、2002年6月
- 鎌倉市埋蔵文化財緊急調査報告書
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