浅井長政はなぜ義兄を裏切ったのか?織田信長が撤退戦に至るまでの経緯と謎を追う【後編】:2ページ目
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木下藤吉郎の奮闘
さて、浅井の裏切りにあって窮地に追いやられた信長は、厳しい撤退戦を迫られます。いわゆる金ケ崎の退き口で、この時に殿(しんがり)の役目を負い、退本隊を守りつつ最後尾でひたすら敵の攻撃を食い止めたのが木下藤吉郎です。
言うまでもなくこれはのちの豊臣秀吉で、もともと生還率がほとんどゼロとされていた殿の役目を、彼は奮戦して見事にやってのけます。
彼が成功したのは、彼自身の活躍ももちろんありましたが、朝倉・浅井軍の連携不足などの理由もあり、この時から木下藤吉郎という人物は幸運に恵まれていたと言えます。
彼のおかげで信長も無事に岐阜へ帰還することができ、この実績が認められたことから、秀吉は後年の大出世への足掛かりを得ていくことになったのです。
さて、帰還した織田軍はその後、態勢を整えてからまたしても挙兵します。そして近江の姉川で朝倉・浅井の連合軍と再びぶつかり合い、ここでは見事に勝利を飾りました。
ちなみにその後の志賀の陣では、朝倉・浅井・織田は講和を結んでおり、そのとき信長は朝倉義景に対して土下座をして「我は二度と(天下を)望みなし」と述べたと言います。
ただこれは信長によるお芝居でした。プライドをくすぐられて、これに気を良くした義景は、その後は何度も判断を誤ってしまい朝倉家を崩壊させてしまいます。
やはり総合的に見て、信長の方が一枚上手だったと言えそうです。
参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年
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