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足利義昭、織田信長と出会う!やがて袂を分かつ二人の蜜月と野心【後編】

足利義昭、織田信長と出会う!やがて袂を分かつ二人の蜜月と野心【後編】:2ページ目

不遇?波乱万丈?足利義昭の生涯

ただ、二人の蜜月は長くは続かず、義昭はその後、その信長によって追放されるという憂き目に遭います。

最後まで自立した権力を確立できなかった足利義昭は、結局室町幕府を再興させられないまま病没します。これだけ聞くととても不遇な人のようですが、実は室町幕府の将軍の中では一番の長寿でした。

また、信長の死後も、あくまでも「室町幕府15代将軍」としての権威は公的にも保たれていたと考えられています。

確かに不遇ではありますが、細かく見るとそうとも言い切れない、不思議に波乱万丈な生涯でした。

「副将軍」にならなかった信長

ところで、義昭が将軍に就任した直後、彼は信長を副将軍の職に据えようとしています。

これは当時の信長の身分からすれば破格の厚遇だったのですが、彼はこれを固辞しました。

その理由ははっきりしていませんが、彼はあくまでも義昭と対等な立場を望んでいたとか、あくまでも本国である尾張と美濃の統治を重視していたからとか言われています。

その信長がいつから、本物の「天下統一」を目指したのかは不明です。一説によると、彼は日本どころか最終的には大陸にまで進出する計画も持っていたとされています。

しかし足利義昭を救った経緯や、それにあわせて三好勢を京から追い払うなどして、結果的に幕政による地域の安定のための筋道を作ったことを見ていくと、信長も必ずしも最初から天下統一を目指していたのではなかったのだろうと推測されます。

やはり当時の戦国武将と呼ばれる人たちも、目指したのは混乱の収束、地域の平和、そしてその手段としての天下統一だったのでしょう。最終的な目的はあくまでも権力争いで人が死なずに済む平穏な世の中だったのです。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年

 

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