「桶狭間の戦い」はなぜ起きた?正確な場所はどこ?有名なのに実は不明点だらけ…【前編】:2ページ目
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今川義元の目的も兵力もあいまい
そもそも、今川義元は一体何を目的にして進軍していたのかがはっきりしません。
一般的な説としては、義元は京に入って政権掌握を目論んでいたのではないかというものがあります。つまり上洛ということですが、それにしてはタイミングがおかしいです。
この時点で、彼が天下人となることを目論んでいたというのは不自然です。大体、尾張を通過して京に向かうとしても、その途中にはたくさんの勢力が控えており簡単に抜けられるものではありません。
よって考えられるのは、彼は最初から信長を倒すことを目的にしていたということです。そうして尾張平定を目指していたのではないかというのが、最近の定説になっています。
また、当時の兵力についても不明な点があります。今川の戦力は『信長公記』では4万5千、『甲陽軍艦』では2万などとされておりよく分かりません。
ただこれについては、桶狭間の戦いの時点で今川の本陣にいたのは数千の兵であり、信長と激突した際の兵力差は大差なかったのではないかと言われています。
【後編】では、さらに桶狭間の戦いが起きた場所の謎、また信長の戦術の謎について解説します。
参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年
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