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徳川家康は天下人として「異常」だった?その気質と人格について掘り下げてみる

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リーダーとしてのパーソナリティ

こうした点を見ていくと、徳川家康は寛容、鷹揚、懐が深く感情の起伏も激しくない人物だったことが分かります。人間観というのは時代によってさまざまですが、おそらくどんな時代でも、リーダーとして従うならこんな人がいい、と誰もが感じるのではないでしょうか。

家康の懐の深さは、幼少期に今川家の人質になった時期が大きく影響していると思われます。

人質というと不遇な境遇のように思われますが、当時の「人質」の概念は今とちょっと違っており、大切なものだからこそ人質としての価値がある、という考え方が主流でした。よって家康も今川家では大切にされており、大原雪斎からも一流の教育を受けています。

このように、きちんと教育を受けて、人から愛情を注がれるという体験が、徳川家康という人物のパーソナリティ構築に役立ったのでしょう。

もっとも、生涯を通して人格円満だったとは必ずしも言えず、若い頃は自分の子供に対してかなり冷淡な面もあったようです。

こうした点は仕方ない気がします。現代の男性たちも、よき社会人・よき夫・よき父親と、全てにおいて人格円満であることは難しいもので、大抵はどこかの場面でひずみが出てくるものです。

考えてみれば家康は17歳で初陣を飾り、亡くなる直前まで戦場に出向くという、天下人であると同時に「生涯戦国武将」の人生でもありました。よき家庭人として振る舞う余裕はなかったのかも知れません。

参考資料
『 図説 徳川家康と家臣団 平和の礎を築いた稀代の“天下人” 』(小川雄・柴裕之編著/戎光祥出版)

 

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