戦国時代「三大奇襲作戦」のひとつ河越夜戦!北条氏康の逆転劇とその後の伝説【前編】:2ページ目
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北条氏康最大のピンチ
北条氏康は学問的な才にも長け、税制改革などを行ったほか、戦にあたっては非常に慎重に事を進める性格だったと言われています。その彼が、北条氏による関東支配を決定づけることになったのが、1546年の河越夜戦です。
話は1545年8月、今川義元が、東駿河を奪還するべく北条領へ攻め入ってきたところから始まります。
これを受けて氏康は東駿河に出兵しましたが、今度は背後の武蔵の河越城を山内・扇谷の上杉氏の大軍によって包囲されてしまいます。
河越城はこの頃、まだ北条氏が獲得したばかりの拠点でした。氏康の留守中は、彼の義弟にあたる北条綱成が城を守ることになっていたのですが、わずか三千程度の城兵では、守りきることができなかったのです。
こうして、氏康は挟み撃ちにされてしまったのでした。そこで彼は今川に対して、とりあえず東駿河の富士川よりも東の地位意を明け渡すことを確約して和睦しました。
こっちが片付いたので、次は河越城の救援に向かいます。【後編】では、伝説の合戦によって城が奪還されるまでの流れを解説します。
参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年
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