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斎藤道三は油売りにあらず!?実は親子二代で成し遂げられた「国盗り」の真実【後編】

斎藤道三は油売りにあらず!?実は親子二代で成し遂げられた「国盗り」の真実【後編】:2ページ目

成功と没落

そして1549年には、織田信長に娘の濃姫を嫁がせて同盟を結び、1554年に息子の義龍に家督を譲りました。

ただこの家督譲渡もスムーズではなく、道三はここで家臣からの支持を失ってしまい、隠居に追い込まれたとも言われています。しかもその後は、その義龍から長良川の戦いで討たれてしまったのですから不憫です。

斎藤親子の仲たがいの原因についてもいくつかの説がありますが、道三が義龍の弟の方を偏愛したからとか、実は義龍は道三の実子ではなく土岐頼芸の息子だったからではないか、とも言われています。義龍の母は、土岐頼芸の愛妾でもあったからです。

このように見ていくと、斎藤道三は確かに力ずくで主君を追い出した点が荒っぽく、いかにも画期的な時代の寵児という感じですが、それ以外は意外と普通の政治家でもあったことが分かります。

父の地盤を受け継ぎ、政争に明け暮れ、最期は家庭内不和によって内部崩壊を起こしたと斎藤道三の生涯を俯瞰してみると、また今までとは違ったイメージが湧いてきそうです。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年

 

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