斎藤道三は油売りにあらず!?実は親子二代で成し遂げられた「国盗り」の真実【前編】:2ページ目
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父の地盤を継ぐ
長井新左衛門尉はもとは油売りをしていたとも、京都・妙覚寺の僧侶だったともいわれています。そして、美濃守護だった土岐氏の家臣だった長井氏に仕えるようになりました。
この長井氏のもとで勘九郎は頭角を表し、上述の長井新左衛門尉へと改名します。そして、土岐市の三奉行のポジションまで上り詰めました。
そして道三が登場します。新左衛門尉は1533年に没しますが、その家督を継いだ息子・長井新九郎がのちの斎藤道三です。
この、父親によって整えられた地盤を踏み台にして、道三は戦国大名として名を上げていくことになります。
実際、このように父からの地盤を受け継いだ経緯が分からないと、その後の土岐氏との関わりも分かりにくくなる部分がありますね。
つまり斎藤道三は、今までイメージされていたように腕一本で逞しくのし上がっていったわけではなく、軽い言い方をすればいいところのお坊ちゃんだったとも言えるのです。
そのように考えると、斎藤道三のイメージもちょっと変わってきますね。その辺りの詳細は【後編】で解説します。
参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年
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