沖縄の戦国「三山時代」!尚氏の歩んだ琉球統一までの険しい道のり【前編】:2ページ目
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尚氏の台頭
中国(明)への朝貢(進貢)貿易によって沖縄の三山は大いに栄えます。中国皇帝に朝貢を行う事で貿易の許可を得、中国の進んだ技術や珍しい宝物の恵みを受ける事ができたのです。
1406年に沖縄南部の佐敷按司だった尚巴志が中山王武寧を攻め滅ぼし、父・尚思紹を中山王位に即ける。これが第一尚氏の始まりでした。
北山侵攻に乗り出す
第一尚氏は1416年、尚思紹在位中に、次なる標的を北山王国に定め、難攻不落と謳われた今帰仁城を攻めました。今帰仁城は別名を北山城とも言い、三山時代には北山一帯を支配していました。
北山王国(後山北王国)の最後の国王・攀安知(はんあんち)は優秀で武芸に長け、攻めるのは非常に困難とされていました。そこで尚巴志は中山の按司に協力を求め、二千人を超す中山連合軍を結成。北山王国を攻めたのです。
トップ画像:Wikipediaより首里城
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