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「野心」はなぜ野の心?その語源は中国古典『春秋左氏伝』から

「野心」はなぜ野の心?その語源は中国古典『春秋左氏伝』から

野心的だった子越の後日談

ちなみに、祖父から「殺せ」と命じられてしまった子越ですが、その後どうなったのでしょうか。

……子良不可。子文以爲大慼。及将死聚其族曰。椒也知政。乃速行矣。無及於難。且泣曰。鬼猶求食。若敖氏之鬼不其餒而……

※『春秋左氏伝』巻十宣公(四年)より

【読み下し】子良可(き)かず。子文以て大慼(たいせき)と為す。将に死なんとするに及びて、其の族(ともがら)を聚めて曰く、椒や政を知(治)らば乃ち速に行れ。難に及ぶこと無かれと。且つ泣いて曰く、鬼(き)猶ほ食を求めば若敖氏の鬼其れ餒(飢)ゑざらんやと。

「嫌です!いくら父上の仰せとは言え、我が子を殺すなどできませぬ!」

そこで子文はこれを大いに憂い、いよいよ寿命が尽きる前に一族を呼び集めて遺言しました。

「よいか。子越が政治を執るようになったら、ただちに楚国から立ち去り、災いの及ばぬようにせよ」

「父上……そんなにこの子が憎いですか」

「そうではない。しかしその子は必ず我らが一族を滅ぼし、祖霊を祀る者はいなくなって(供え物がなくなり、祖霊は飢えて)しまうだろう」

果たして子文の予言通り、若敖氏は本当に滅亡してしまいます。子越は主君である楚の荘王(そうおう)に謀叛し、返り討ちにあってしまうのでした。

実に野心的であった闘椒の生涯については、また改めて紹介できればと思います。

※参考文献:

  • 塚本哲三 編『春秋左氏伝 上』国立国会図書館デジタルコレクション
 

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