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24名が極刑!完全非公開で裁判が行われた日本史上最悪の冤罪事件とは

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「天皇暗殺計画」の容疑者

全国で検挙された100人以上もの容疑者として連行されたのは、爆弾製造に用いる青酸カリを提供した「新村忠雄」のほか、計画を知っていた「古河力作」や「菅野スガ」。そして、菅野スガと恋人関係であった幸徳秋水も事件に関与しているとして逮捕されました。

さらには、事件以前から幸徳秋水と交流があったという理由で、医師の「大石誠之助」や元岡山県職員「森近運平」までもが容疑者となっています。

暗黒裁判

明科事件から7ヵ月後の1910年12月10日、天皇暗殺計画の容疑者として26名の社会主義の裁判が行われました。罪状は「大逆罪」。

大逆罪とは、旧刑法において「天皇や皇族に危害を加える、もしくは加えようとした者は未遂や準備段階であったとしても死罪として扱う」というものでした。

今回の裁判では「完全非公開」「報道禁止」「弁護側の証人は採用しない」「裁判記録は残さない」といったルールが設けられており、現代では「暗黒裁判」と称されることもあります。

天皇の恩恵と冤罪

裁判から20日後には、26名中24名が極刑を言い渡されています。しかし、翌日には大審院から「天皇による恩恵」と称し、24名中12名が特赦として無期懲役への減刑を言い渡されました。

特赦は刑の効力を失わせるものであるため、通常は天皇や親族の結婚、新天皇の即位時など相当特別なときのみ言い渡されています。

一見すると天皇が反逆者を許したとも認識できますが、極刑を言い渡した翌日にどうして特赦が言い渡されたのかは、現在もわかっていません。

また現在では、宮下・新村・古河・菅野4人を除く全員は冤罪だったとされており、当時の司法行政によって捏造された事件だったことも判明しています。

「大逆事件」は、当時の時代背景と思い込みが引き起こした人為的な悲惨な冤罪事件でした。

同じような事件が2度と繰り返されないことを願います。

 

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