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幻に終わった「協力内閣」…関東軍の侵略行為を許してしまった与野党の小競り合い

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本末転倒から五・一五事件へ

こうして民政党も政友会も、協力内閣構想に反対するという結論になってしまいます。

与党の民政党としては、議席の数は圧倒的にこっちの方が多いので、次の選挙に勝って議席も首相のポストも自力で獲得すればいいという判断でした。

一方、野党の政友会は選挙対策として経済対策を打ち出します。緊縮財政を推進する民政党に対して積極財政を掲げ、当時世界が陥っていた経済恐慌からの脱却をはかったのでした。

そうこうしているうちに、民政党内では内閣不一致となり、慣習的に内閣総辞職の流れになってしまいました。これを受けて政友会の犬養毅内閣が発足し、それまで野党の立場だった政友会は、結果的に協力内閣の形を取らずして首相のポストと議席を獲得することになったのです。

しかしこのように民政党と政友会がゴタゴタしている間に、関東軍は満州事変を進めてしまいました。彼らにしてみれば、「あいつら何やってんだ?」という感じだったのではないでしょうか。

まさに本末転倒。目的と手段がいつの間にか入れ替わって、関東軍を抑えるという当初の一番重要な目的が見失われてしまったのです。

その結果、五・一五事件が発生して日本は破滅へと突き進んでいくことになりました。よく言われるように、満州事変はなにも「軍部の暴走」だけで発生したわけではなく、政治家の党利党略のゴタゴタもその一因となってしまった部分があったのです。

参考資料
井上寿一『教養としての「昭和史」集中講義』SB新書、2016年

 

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