本能寺の変、織田信忠の自害…織田家の衰退がなかったらその後の「天下取り」はどうなった?:3ページ目
信忠が生きていたらどうなっていたか
ところで、織田信忠は早くから信長から後継者として特別に扱われていました。また、1582年には甲州征伐で武田家を滅ぼすなどし、その期待に応えています。
彼の戦いぶりは鮮やかなもので、父の信長は「少し慎重になれ」と忠告したほどだと言われています。しかし信忠はそれを無視して勝利をおさめ、これなら天下を任せてもいいだろうと父の信頼を勝ち得たのです。
歴史にifは禁物ですが、リーダーシップに優れた信忠が、自害という道を選ばずに生き延びていたら、秀吉の天下統一や徳川幕府による支配もなかったかも知れません(とは言っても、徳川幕府のような精緻で巧妙な支配体制を確立できたかどうかは分かりませんが)。
また、信長が築いた安土城をそのまま居城としていれば、現在の首都も東京ではなく、滋賀県か、あるいは京都となった可能性もあるでしょう。
さらに言えば、信長は積極的に海外と交流していたので、鎖国体制も敷かれなかったかも知れません。
もっとも反対に、織田信長のような天才だからこそあそこまで見事に天下統一までの道筋をつけられたのであって、彼以外の誰かがそれを継いだとしても、政治・経済の政策方針がそのまま維持できたはずがない、という考え方もありますが。
いずれにせよ、織田信長という人物の功績はあまりにも巨大すぎました。彼の突然の死によって、彼が強烈に推進してきた、乱世統一のための新しい政治・経済・文化の展開が突然断ち切られたのは確かです。
だからこそ、「彼自身がもし命を落とさず、織田家も衰退していなかったらその後の歴史はどうなったか」という想像は面白いのだと言えるでしょう。